2006年10月11日
Vz Editor
1993年ぐらいにはVz Editorが流行っていました。
そのエディタはキー割り当てやメニューが自由にカスタマイズできました。
マクロ機能を利用したテトリス・ゲームで遊べました。
役に立ちそうな好みのマクロを選んで、それを特定のキーに割り当てる定義ファイルを作成。
たった一つしかないオレ流のエディタができたと当時はよろこんだものでした。
しかし時は流れ、パソコンのOSはDosからWindowsに変わっていきました。
Windowsで動作する秀丸を使うようになってからは、Vz Editorはほとんど使わなくなりました。
後からWZエディタというVzエディタのWINDOWS版が出たが、Vzとはマクロの仕様が変わっていました。
時間をかけて作った定義ファイルはお蔵入りに。
「特別な用途でない限り、ソフトはカスタマイズせずにデフォルトで使ったほうがいい」という教訓を得ました。
2006年10月5日
FMV-450NL/S
初めてのノートパソコンは富士通のFMV-450NL/S。
このマシンはWINDOWS3.1で動いていました。
そのころパソコンは一人一台ではなかったので、ノートパソコンを会社にもっていくことで、書類を作る効率がアップしました。
WINDOWSを使い始めたので、あっさりMS-WORDに乗り換えました。周りの人たちが使っていた一太郎はばっさりと切り捨てました。
OSにトランプ・ゲームの「ソリティア」がついていて、それでよく遊びました。
持ち運びができるというノートの利点がうれしくて、しばらくデスクトップは買いませんでした。
このパソコンは今も義弟がつかっているとか。
このマシンはWINDOWS3.1で動いていました。
そのころパソコンは一人一台ではなかったので、ノートパソコンを会社にもっていくことで、書類を作る効率がアップしました。
WINDOWSを使い始めたので、あっさりMS-WORDに乗り換えました。周りの人たちが使っていた一太郎はばっさりと切り捨てました。
OSにトランプ・ゲームの「ソリティア」がついていて、それでよく遊びました。
持ち運びができるというノートの利点がうれしくて、しばらくデスクトップは買いませんでした。
このパソコンは今も義弟がつかっているとか。
2006年10月4日
Windows3.1
Window3.1が発売されたのは1993年。
その頃は今と違って、Microsoftの新OSに大きな関心を寄せていました。
発売されてすぐにマウスつきのパッケージを買って自分のマシンにインストールしました。
私にとってはマルチメディアを本格的に楽しめる初めてのOSでした。
当時の自機、IBMのPS/VのISAバスにサウンドカードを挿して、WAVEファイルを再生して遊びました。
パソコンで写真(ビデオ)や音楽を楽しむこと。今ではごく当たり前のことがそのころは新鮮でした。
2006年9月21日
IBM PS/V
1993年ごろ、日本ではPC9801が圧倒的シェアを誇っていましたが、DOS/V陣営がそれを切り崩しにかかっていました。
私は将来DOS/Vマシンが主流になると予測していましたので、PC9800には見切りをつけ、IBMのDOS/VマシンであるPS/Vに乗り換えました。当時は本家IBMが、DOS/Vマシンを世に出したということでかなり話題になりました。
このマシンは、Intelの486SX20Mhzを積んでいました。Windows3.1で使うのには若干非力だったように記憶しています。また何メガかは忘れましたが、内蔵ハードディスクを搭載していました。
DOS/Vは最初対応ソフトが少なかったので(98が圧倒的なシェアを占めていたのでしかたがない)一時は不自由を感じて98に戻そうと思ったぐらいでした。でも少しずつソフトが増え、ゲーム以外はたいてい揃うようになってきました。さらにDOS/Vでは画面の解像度や色深度、また表示フォントが自由に変えられるのが大きなメリットでした。
またWindows上では98でもDOS/Vでも同じソフトが動くので次第にその差は吸収されていきました。
そしてWindows 98ではPC9800シリーズ対応のものはリリースされず、98の時代は終わりを告げました。
私は将来DOS/Vマシンが主流になると予測していましたので、PC9800には見切りをつけ、IBMのDOS/VマシンであるPS/Vに乗り換えました。当時は本家IBMが、DOS/Vマシンを世に出したということでかなり話題になりました。
このマシンは、Intelの486SX20Mhzを積んでいました。Windows3.1で使うのには若干非力だったように記憶しています。また何メガかは忘れましたが、内蔵ハードディスクを搭載していました。
DOS/Vは最初対応ソフトが少なかったので(98が圧倒的なシェアを占めていたのでしかたがない)一時は不自由を感じて98に戻そうと思ったぐらいでした。でも少しずつソフトが増え、ゲーム以外はたいてい揃うようになってきました。さらにDOS/Vでは画面の解像度や色深度、また表示フォントが自由に変えられるのが大きなメリットでした。
またWindows上では98でもDOS/Vでも同じソフトが動くので次第にその差は吸収されていきました。
そしてWindows 98ではPC9800シリーズ対応のものはリリースされず、98の時代は終わりを告げました。
2006年9月14日
PC9801U
先のPC8001は大学生のときにアルバイトをして買ったのですが、PC9801Uは会社に勤めてから給料で購入しました。
そのころは毎週のように上前津まで行っていたと思います。そのときはまだ独身だったので、経済的に余裕があって財をパソコンに投入していました。
このマシンを買ったころはまだハードディスクは普及していませんでした。3.5inchフロッピーが2基付いていて、それが外部記憶装置のすべてでした。
OSとワープロ、表計算、データベースなどがそれぞれ1、2枚のフロッピーに収まっていました。起動時にフロッピーを入れておくことでアプリケーションを立ち上げることができました。
本体に漢字ROMが搭載されていて、アプリケーションで簡単に日本語(漢字)が手軽に使えたのが画期的でした。
WINDOWSなどのGUIには大きな容量のハードディスクが必要だったので、それはもっと後の時代になります。
このマシンは主にキャラクターベースで動いていました。
私がNECの純正マシンを使ったのはPC8001とPC9801のみ。後は国民機98の互換機であるEPSONのPC286とPC386を使っていました。
そのころは毎週のように上前津まで行っていたと思います。そのときはまだ独身だったので、経済的に余裕があって財をパソコンに投入していました。
このマシンを買ったころはまだハードディスクは普及していませんでした。3.5inchフロッピーが2基付いていて、それが外部記憶装置のすべてでした。
OSとワープロ、表計算、データベースなどがそれぞれ1、2枚のフロッピーに収まっていました。起動時にフロッピーを入れておくことでアプリケーションを立ち上げることができました。
本体に漢字ROMが搭載されていて、アプリケーションで簡単に日本語(漢字)が手軽に使えたのが画期的でした。
WINDOWSなどのGUIには大きな容量のハードディスクが必要だったので、それはもっと後の時代になります。
このマシンは主にキャラクターベースで動いていました。
私がNECの純正マシンを使ったのはPC8001とPC9801のみ。後は国民機98の互換機であるEPSONのPC286とPC386を使っていました。
2006年9月7日
PC8001
1980年代、大学生のときバイトをしてPC8001を買いました。
その値段は本体のみで16万8千円。白黒(オレンジと黒)のモニターが3万円ぐらいだったと思います。
Z80の互換CPU搭載。32Kbytesのメインメモリ。BEEP音(ブザー)で音楽をPLAYしました。
雑誌に載っていたゲームのマシン語リストを徹夜で打ち込んで、それをカセットにセーブしました。
マージャン、フリートコマンダー、スタートレック、ゴルフシュミレーション、潜水艦ゲーム。遅いマシンですがそれでも楽しめました。
N-BASICを勉強。配列を使った統計プログラムを作って、大学のクラスメイトに感謝されました。
当時買って読んでいた雑誌ASCIIがリニューアルされるとのことです。PC8001で遊んだことも随分前のことになりました。
2006年8月23日
プール
ダイエット目的の水泳でK市の市民プールに行ってきました。ここ2~3ヶ月で2~3回通っています。
今は夏休みの真っ盛り。たくさんの子どもたちが泳ぎにきています。
不注意というよりも必然的に足や手がぶつかって、しばしば泳ぎが中断されます。
楽しそうな子どもたちの歓声の中、来てはいけなかったのではないかという思いにかられます。
その中でひたすら、スピードの鈍い泳ぎに専念します。
「これもダイエットのため。」とは思うものの選んだ日が悪かったようです。
1時から2時までは芋を洗うような状態。
3時からは空いてきて、また普通に泳げるようになりました。
あと少しで夏休みも終わってしまう。
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