2006年9月21日

IBM PS/V

1993年ごろ、日本ではPC9801が圧倒的シェアを誇っていましたが、DOS/V陣営がそれを切り崩しにかかっていました。
私は将来DOS/Vマシンが主流になると予測していましたので、PC9800には見切りをつけ、IBMのDOS/VマシンであるPS/Vに乗り換えました。当時は本家IBMが、DOS/Vマシンを世に出したということでかなり話題になりました。
このマシンは、Intelの486SX20Mhzを積んでいました。Windows3.1で使うのには若干非力だったように記憶しています。また何メガかは忘れましたが、内蔵ハードディスクを搭載していました。
DOS/Vは最初対応ソフトが少なかったので(98が圧倒的なシェアを占めていたのでしかたがない)一時は不自由を感じて98に戻そうと思ったぐらいでした。でも少しずつソフトが増え、ゲーム以外はたいてい揃うようになってきました。さらにDOS/Vでは画面の解像度や色深度、また表示フォントが自由に変えられるのが大きなメリットでした。
またWindows上では98でもDOS/Vでも同じソフトが動くので次第にその差は吸収されていきました。
そしてWindows 98ではPC9800シリーズ対応のものはリリースされず、98の時代は終わりを告げました。

2006年9月14日

PC9801U

先のPC8001は大学生のときにアルバイトをして買ったのですが、PC9801Uは会社に勤めてから給料で購入しました。
そのころは毎週のように上前津まで行っていたと思います。そのときはまだ独身だったので、経済的に余裕があって財をパソコンに投入していました。
このマシンを買ったころはまだハードディスクは普及していませんでした。3.5inchフロッピーが2基付いていて、それが外部記憶装置のすべてでした。
OSとワープロ、表計算、データベースなどがそれぞれ1、2枚のフロッピーに収まっていました。起動時にフロッピーを入れておくことでアプリケーションを立ち上げることができました。
本体に漢字ROMが搭載されていて、アプリケーションで簡単に日本語(漢字)が手軽に使えたのが画期的でした。
WINDOWSなどのGUIには大きな容量のハードディスクが必要だったので、それはもっと後の時代になります。
このマシンは主にキャラクターベースで動いていました。
私がNECの純正マシンを使ったのはPC8001とPC9801のみ。後は国民機98の互換機であるEPSONのPC286とPC386を使っていました。

2006年9月7日

PC8001


1980年代、大学生のときバイトをしてPC8001を買いました。
その値段は本体のみで16万8千円。白黒(オレンジと黒)のモニターが3万円ぐらいだったと思います。
Z80の互換CPU搭載。32Kbytesのメインメモリ。BEEP音(ブザー)で音楽をPLAYしました。
雑誌に載っていたゲームのマシン語リストを徹夜で打ち込んで、それをカセットにセーブしました。
マージャン、フリートコマンダー、スタートレック、ゴルフシュミレーション、潜水艦ゲーム。遅いマシンですがそれでも楽しめました。
N-BASICを勉強。配列を使った統計プログラムを作って、大学のクラスメイトに感謝されました。
当時買って読んでいた雑誌ASCIIがリニューアルされるとのことです。PC8001で遊んだことも随分前のことになりました。

2006年8月23日

プール


ダイエット目的の水泳でK市の市民プールに行ってきました。ここ2~3ヶ月で2~3回通っています。
今は夏休みの真っ盛り。たくさんの子どもたちが泳ぎにきています。
不注意というよりも必然的に足や手がぶつかって、しばしば泳ぎが中断されます。
楽しそうな子どもたちの歓声の中、来てはいけなかったのではないかという思いにかられます。
その中でひたすら、スピードの鈍い泳ぎに専念します。
「これもダイエットのため。」とは思うものの選んだ日が悪かったようです。
1時から2時までは芋を洗うような状態。
3時からは空いてきて、また普通に泳げるようになりました。
あと少しで夏休みも終わってしまう。

2006年8月14日

USJ


周囲の人からはたいしたことないという噂しか聞かなかったUSJ。
朝8時~夜9時、13時間回って疲れましたが、結構楽しめました。
ジェットコースター・アレルギーの私にはぴったりの遊園地。
炎天下、2時間待ちでジュラシック・パーク・ライドに乗りました。
生まれて初めて恐竜たちの楽園をみることができたのです。
どちらかというと中学生のTくんよりも小学生のNくんのほうが、楽しんでいたようです。
子どもたちに喜んでもらえたので、行ったかいがありました。

2006年8月13日

昔、遊んだ滑り台


お盆で帰省したときのこと。
今は亡き祖母の家の近くに小さな児童公園がありました。
もう40年ほど前になるのですが、私にはその公園で遊んだ記憶があります。
遠い記憶をたどると、自転車できた紙芝居屋が「黄金バット」を演じていたのを思い出します。
懐かしさを感じつつ、その公園に立ち寄ってみますと、昔遊んだ滑り台がひっそりと残っていました。
セミの声がうるさく聞こえるなか、一組の親子がいました。女の子が登るのを母親が助けていました。
親子に不審に思われてはと思って、立ち去ってからこの写真を撮影しました。
昔見たのとちがって今は随分と小さく見える滑り台。
この滑り台はいつまでここにあるのでしょうか。

2006年8月10日

スイートポテト


夏休みの家庭科の宿題でTくんがスイートポテトをつくりました。
半日ぐらいかかりましたが、写真のとおり、それらしくできています。
最初、お父さんの分はないといっていたが、結局は一つ渡してくれました。
日頃つくっているのをみたことがないので、なんとなく食べるのがもったいない気がしました。